運動を省く文明の発達は自滅へ向かう

9月8日〈日

天気晴、気温は20度台前半、やや冷たい風があって、運動には理想的な日。

はじり始めると調子はわるくない。8キロの積りだったが、往路を5キロまで伸ばして計10キロ。

折り返し点で42分26秒。帰路のスタミナが心配だったが、何とかやりきって、1時間22分35秒。帰路の平均でキロ8分03秒。ラストの1キロでは、7分35秒だった。

さて、ふつう、こうした頑張ったはじりの後は、困憊状態となる。

ところが、事後のストレッチのあと、前回書いた「アスリ・メンタル・ハイ」を再体験する。

そこで、新たな認識として、運動を突き詰めれば詰めるほど、脳の「創造的破壊」を行い、古いシナプスを解体、再構築するとの説を発想。

つまり、まったく新たなアイデアをもたらしてくれるというわけだ。この方法論の発見は貴重かも。

 

9月16日〈月

無為に過ごす自分を、すべきことをしていないと責め、追い込み、しだいに鬱気分に至らせるこれを〈自責鬱化〉と呼ぼう。

それにとどまらず、この〈自責鬱化〉に加えて、体験的に覚えたそこから脱せること――たとえば運動――を〈逃避行為〉とさえ決め付ける反応がある。

ところでその一方、身体には免疫作用があるのだが、また、自己の一部(抗体)を外敵とみなして攻撃する自己免疫疾病というものがある。

なにやら、この〈自責鬱化〉と〈逃避行為〉との一連の作用は、この自己免疫疾病――身体上の鬱病とも言っていい――にも似た自傷反応に見える。つまり、運動のもたらす脱鬱効果は、免疫反応と捉えられそうだ。

つまり、〈自責鬱化〉と〈逃避行為〉とのセットの自傷反応は、むしろ、社会的規範による精神的加圧の結果なのではないか。

あるいは、もともと体というものは、運動しないと不快感をもよおすようにできているものを、社会的規範がそれを働くというマネーインセンティブな行為に方向づけている。つまり、運動による心地良さがマネーを得る心地良さにすり替えられているということ。そこで、お金を得れば得るほど、肥満や生活習慣病に至るという社会構造ができてきている。

これを生体構造上で言えば、この加圧をなす生体情報原(サイトカイン)と自己免疫疾病を発生させる攻撃原とは、同種の生体情報原(サイトカイン)と考えられる。

だとすると、運動による脱鬱効果というのは、そうした生体情報原(サイトカイン)に対抗する反生体情報原(アンチサイトカイン)によるということだ。

ならば、それを抽出して鬱患者に与えれば、抗鬱効果があるのではないか(つまり運動しなくても脱鬱効果をもたらすレイジー薬品――となって、肥満をいっそう深刻化させるだろう)。

とすると、この脱鬱効果と肥満解消がセットなっている運動とは、人体構造が、運動することで総合的良好常態をもたらすように出来ているということとなる。逆に言えば、運動を省く文明の発達は、自滅へ向かう発達といえる。現在、目撃しているように。

 

9月17日〈火

10キロはじりで、ひさびさの21分台の1時間21分26秒。5キロでは41分46秒、後半5キロは39分40秒。

これまでの記録では、5月19日の1時間20分40秒が最高で、次に5月27日の1時間21分16秒。それに続く、3番目。

それ以前に20分を切る記録もあるのだが、それは引っ越し後の距離測定の誤りの結果。5月15日に再測定をしている。

ところで、今日の後半5キロの39分40秒だが、平均でキロ7分56秒。はっきりと記憶していないのだが、帰路は、キロ8分近かったはずで、8キロ地点ではたしか1時間5分45秒位だった。ということは、ラスト2キロを15分41秒で走ったことになる。ともあれ、完璧な「走り」であった。

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