「労使関係クラブ」の復活

ジェラルド・ヘンダーソン著

Gerard Henderson は、オーストラリアの著述家、コラムニスト、政治評論家。

自動車メーカーのフォードとホールデンが、それぞれ2016年と2017年までに、オーストラリアでの生産から撤退するとの表明は、オーストラリアの雇用を、傘下部品メーカーまで含めると、一万名以上も消滅させる恐れがあります。こうした失業問題の急激な深刻化を受けて、労使関係が目下の政治経済的な緊急課題として浮上してきています。以下は、オーストラリアの大手経済紙に掲載された論文で、オーストラリアの労使関係制度とその問題のアウトラインを知るには格好の記事です。ここにその全翻訳を掲載します。翻訳は松崎 元。出所:9 December 2013, Australian Financial Review

オーストラリアの労使関係制度は、西洋世界でもっとも中央集権的なもののひとつである。1901年のオーストラリア連邦設立以来、それはほぼ一貫した特徴となってきた。ただその一世紀の間の労働党政府あるいは自由・国民連合政府の限られた一時期、そうした制度を変革する試みがあった。

1990年代初め、1993年3月の選挙で労働党の勝利に続いて、ポール・キーティング〔首相〕は、同制度の柔軟性を高めるために、企業別交渉制を導入した。深刻な不況と高い失業率が、何らかの変革を必要としていたからであった。

1996年の選挙で〔政権奪回した自由・国民連合の〕ジョン・ハワード〔首相〕とピーター・リース〔労使関係大臣〕は、新たに、個別雇用契約制を導入して、労使関係制度の分権化に着手した。その後2000年代半ば、2004年10月の選挙でのハワード政権の躍進に続き、自由・国民連合政府は、Work Choice と呼ばれる問題含みの法制度を導入した。

この法制度の柱は、解雇制限の緩和、個別雇用契約の拡大、そして、強制仲裁制度へ制限を加えることだった。

Work Choice による制度改革を政治的な困難に合わせた原因は、オーストラリアの経済が回復し、失業率が下がり始めた時に、それが開始されたことだった。つまり、Work Choice は、有権者にかえって反感をもたせるという問題をこしらえてしまった。Work Choice はその目論見に反し、その中央集権的制度を解体しえず、それに置き換わる Fair Work と呼ばれる〔労働党による〕法制度の導入に理由を提供してしまったのであった。そうした中央集権的な労使紛争裁判所制度を支える関係法制度の骨格は、法規文書に網羅された諸労働協約によってがんじがらめに縛られれいた。加えて、数百ページにもわたるWork Choice 法とその無数の条項が定めたものとは、規制緩和というより、強制仲介から自主交渉へとの法規制を強化する動きであった。

そして実際に Work Choice を導入するにあたってハワード政府が憲法上の企業の特権を利用しようとしたことは、全国規模の職場を想定した連邦協約制度の適用範囲を拡大することで、最終的には中央集権化を再強化させる結果となったのであった。

 

暴露と解体

Work Choice を解体するための労働党の作戦は、2007年11月のケビン・ラッドが率いた〔労働党の〕地滑り的勝利の主柱であった。そしてその実務は、雇用・職場関係大臣である女性副首相、ジュリア・ギラードに担われた。

ラッド=ギラードの試みは Fair Work 法に盛り込まれ、Work Choice を破棄するだけでなく、先のハワード改革や、キーティング改革の一部をも解体するもので、中央集権化した賃金決定制度を弱め、最低保障制度を強化することを主眼としていた。

団体交渉への認識の深まりにもかかわらず、オーストラリアの労使関係制度はいまや、25年前のそれと比べ、より中央集権化され規制されていた。これは、オーストラリア経済がいっそうの多様化と、いっそうの中小企業の成長と、いっそうのグローバル化した市場競争の強化がありながらのものであった。

それは、二つの事例が説明している。

第一に、1990年代、オーストラリアの全労働協約のおよそ三分の一は、旧連邦調停仲裁委員会が制定したものであった。それが2010年までに、Fair Work Australia(後にFair Work Commission と変更)による同割合は90パーセントに近いものとなった。

第二に、1992年から2010年の間に、労働組合加盟率は、40パーセントから18パーセントへと大幅に下落した。そのうち、民間企業のその率は、およそ13パーセントである。

また、同制度に盛り込まれた特権を尊重し、ACTU(全豪労働組合評議会)は、組合に組織化された労働者を通じて、全労働者の60パーセントに影響する交渉を行っている。このように、労働組合の組織率の劇的な低下がありながら、労働組合運動の制度的な影響力は維持(場合によっては強化)されていたのである。

要するに、Fair Work 法は、労働組合の力、労使協約制度、そして、連邦労使紛争裁判所を、Fair Work Commission の働きを通じて、復活させているのである。

 

相変わらずの制度

この制度は、1990年段階では、一体に中央集権化された法規――強制協約仲裁システム――を特徴としていた。それが今日では、三部構造――中央集権的法基準、中央集権的仲裁協約、および全国的規模の団体交渉――をもつ中央集権型法体系を成している。

現行の労使関係制度の解説書『Stewart’s Guide to Employment Law』(Andrew Stewart 著、Federation Press, 2013)が述べているように、Fair Work Commission は、事実上、その改定前の Australian Industrial Relatons Commission の制度的付属物のすべてを引き継いでいる。

「委員長、副委員長、委員会、そして(2013年以降)副委員長は二人の構成を持ち、もし一名のメンバーの決定への不服審査が請求された場合、(通常)フルベンチと呼ばれる三名のメンバーによる審理がなされる。ことに重要なのは、2009年のFWCの発足時のメンバーは、AIRCから選ばれたことである。」

                           

さらに、MIchael Stutchbury〔Aaustralian Financial Review 紙の編集主任〕は2009年に、以下のような解説をのべている。「現在の連邦の〔労使関係紛争の〕“審判役〔FWCのこと〕”は、そのぜん前身のAIRC の同等役職から出されている。ただ、〔FWC〕のウエブサイトは、AIRC の年次報告書や、同裁判所の105年間の歴史のリチャード・カービー資料をも含めている。(7July 2009, The Australian 紙)」

そしてさらに、同システムの警察部門である、Fair Work Ombudsman 制度がある。その約300名の執行官は、職場に入り、違反を調査し、処罰を執行する権限があると説明されている。Andrew Stewart が述べているように、その創設以来、FWOは「きわめて活動的かつ目につく部門で、特定の産業や問題を狙い撃ちにした取組みを行ったり、選別した雇用主の会計検査も頻繁に実施している。」

今日、中央集権化した労使関係制度への支持はほぼ全国的な信条ともなっている。しかし、雇用大臣のエリック・アベッツは、生産性委員会による労使関係制度の見直しを開始するとのアボット首相の取組みについて再宣言し、それによる成果を2016年末の選挙争点に繰り入れる可能性があるとしている。つまり、労使関係制度は、現政府が再選された場合のみ、次期政府で導入される問題であるにもかかわらず、本国会会期にとっての政治課題の様相をていしているのである。しかも、再選された場合に導入可能な変更のみに限るという、議会の思惑を満たすものでなくてはならなかった。

本稿のための取材の中で、FWC委員長のイアン・ロス判事も、ACTU委員長のゲッド・カーニーも、オーストラリアの中央集権的労使関係システムは、入手できる最善のものだとの見解を明瞭にしている。いずれも、その改革を必要とは見ていない。それはとみに独り善がりなものというほどではないが、彼らがこれまでの人生で得てきた信条の再確認であり、今日への必需物とし続けるものだ。

両者はいずれも、現行システムが、失業と不完全雇用を高進させて非生産的なものである、とは見なしていない。

両者とも、オーストラリアの労働市場法、規制、そして制度は、原則的に社会的恩恵をもたらし、雇用、生産性、そしてそれによる生活基準の上昇への予期せぬ悪化を差し止めるものであると見ている。

 

アボット政府の政策

 2004年10月の選挙では、マーク・レイサム党首は、労働党を悲劇的敗北へと導いた。そうしてジョン・ハワード党首は、〔労働党の〕ボブ・ホークの持つ四期連続政権維持の記録に肩を並べた。この記録を越えるのは、1949年から1963年まで、7回の選挙勝利を誇ったロバート・メンジスのみである。

自由・国民連合政府の上院における優勢は、ことにクイーンズランドで顕著で、2005年7月1日時点で、その上院の過半数を握ったことで得られた。そしてこれが、Work Choice の導入を可能とさせた。

ジョン・ハワードは、2004年の選挙で、不当解雇法規の改革をその選挙争点に掲げた。しかし、労使関係法規全体は、その対象にはしなかった。

しかし、〔上院の過半数獲得という〕予期せぬ成果によって、自由党の中に、ハワード政府は、かってマルコム・フレイザー政府が、1975年12月から1981年7月まで上院の過半数を制しながら成さなかったことを、今やすべき時がきているとの見方が広がっていた。

マルコム・フレイザーは、その最初の2期の間、担った公約を十分には達成しなかったとの見方が、自由党内部に残っていた。

ジョン・ハワードが、2004年選挙の勝利を受けて、Work Choice の構想を内閣で取り上げた時、彼はその勢いの頂点にあった。その提案された改革構想に懸念を示したのは、二人の大臣のみだった。それは、トニー・アボット(当時健康大臣)とケビン・アンドリュー(当時雇用・職場関係大臣)だった。

結局、Work Choice は内閣で承認され、アボットとアンドリューは連帯責任に取り込まれた。何人かは、アボットやアンドリューのように、Work Choice は、多くの被雇用者には何らの実質的恩恵をもたらさないため、彼らは反対すると、個人的には信じていた。だが、違った角度からの別の批判者がいた。レイ・エバンス――H. R. Nicholls Society 〔右派系シンクタンク〕の創設者――は、Work Choice は余りに規制的だと見た。そしてむしろ、Work Choice を労働者の権利への攻撃だとみなす労働組合運動を、その足元を切り崩す政治工作に利用しようとした。

2007年11月の〔選挙での〕自由・国民連合の敗北は、自由、国民の両党に痛切な衝撃を与えた。選挙後、両党は、選挙争点への支持が得られなかった――ことにもしその法改正が行われれば生活水準に逆効果をもたらす恐れがある――として、根本的法改正を導入しないことを決定した。そこで2013年選挙――労使関係制度には限定した尊重をうたった――に勝利したアボット政府も、大規模な労使関係改正に打って出ることに消極的でなのである。

Work Choice のもっとも物議をかもす箇所に関し、不利益扱い〔労使紛争裁判所によって裁定されるため、事実上、労働組合の干渉を受ける〕を不問とする条項を取り下げてそれを回避した。これは、労使間の合意は、使用者が何らかの権利を譲歩しても――多くの場合、権利をめぐる交渉の後――、〔労働組合の介入ぬきで〕従業員と使用者との間で取決めうることを意味した。不利益扱いを不問とする条項は、ハワード政府による1996年のWork Choice 法――1988年の労使関係法を改正した1993年のキーティング政府の法律を改正したもの――に含まれていた。

不利益扱いを不問とする条項を取り下げたことの政治的反発は、2007年5月の新たな「公正条項」の登場を生んだ。これは、Work Choice の当初の形が、わずか一年後に復活したことを意味した。

十年前、「労使関係クラブ」〔法規制に頼って対処する政策集団がこう揶揄されている〕は信頼を失っていた。それが、いまや復活したわけで、その影響は、Work Choice に続いて労使関係制度の中央集権化を強めることで、引上げが可能となったのである。

ビル・ショーテンは、先の労働党政府の労使関係大臣として、労働組合運動の特権を守って、Fair Work Commission の再設立に力を尽くした。

今や野に下った労働党は、労働組合の影響を削減するいかなる法改正にも反対する可能性が高い。

ジョン・ハワードは、その理由を詳しく説明することなく、Work Choice を導入した。トニー・アボットは、失業や不完全就業がオーストラリアのいずれかの地域で深刻な問題となった場合、労使関係制度の法改正に乗り出すだろう。アボット政府にとって、労働市場への抵抗者の根源を除去するのは、「労使関係クラブ」にそれができないことは周知のことであるが故に、理にかなったことなのである。

 

何処へ向うか「労使関係クラブ」

首相のビジネス顧問委員会の会長である Maurice Newman は、最近の提言の中で、オーストラリアの賃金が高い国際的水準にあると述べたことが、波紋や批判を呼んでいる。

注目されるのは、Ross Garnaut ――ラッド=ジラード政府のコンサルタントで、1983年から1985年にはホーク首相の上級経済顧問だった――が、さほど違いのない提言をした際には、そうした声が発せられなかったことである。彼の書いた著作『Dog Days: Australia after the Boom』(Black Inc., 2013) に、Garnautはこう述べている。

1990年代の国際基準において〔もそうであった〕非熟練労働者の最低賃金の高さは、今日では、他の国々の群をいっそう抜いている。2013年初めの為替水準において、米国の最低賃金の2倍、ヨーロッパ諸国の同様な賃金の1.5倍である。高い最低賃金は失業していない低賃金労働者家計の収入を増加させるが、オーストラリアの水準では、非熟練労働者の雇用にマイナスの影響を与える。

これは、好況時にはさほどの問題にはならないが、目前に迫っている厳しい時期には、いっそう重要となってくる。それは、高い最低賃金が、辺縁の労働者の雇用の伸びを抑制させてしまうからである。

20世紀の最初の十年間、オーストラリアは、「全面的保護」政策を採用していた。そこでは、産業は他の競争関係にある国々より、高い賃金と労働条件を保っていたが、それは、関税と数量制限によってそうした労働者が、アジアの低賃金労働者との競争から保護されていたからだった。

今日、オーストラリアの保護の水準は国際水準にまで下げられ、無差別的な移民政策が実行されている。さらには、通貨は世界市場で変動している。

グローバルに競争力を持つためには、オーストラリアの産業や企業は柔軟性を持たなければならない。また、過去6年間に、オーストラリアの労使関係制度は再規制され、労働組合の権利は引上げられ、「労使関係クラブ」――そのメンバーは乏しい経済的経験しか持たず、事実上、ビジネス経験は皆無である――は、かっての栄光を再現させている。

そうした状況にあって、もっとも成功したビジネスや高い資格や教育水準をもつ従業員は、充分良好な条件を得ている。それは公務員にあっても同様である。

しかし、弱体民間部門の非熟練労働者は、若年オーストラリア人を含み、往々にして、そうした「労使関係クラブ」のメンバーによる決定の予期せぬ結果の犠牲になっている。

アボット政府は、ただちに「労使関係クラブ」を解体しそうにはない。しかし、オーストラリアにとっての最適な労使関係制度について議論すべき十分な理由がある。それは、単に賃金に関してばかりでなく、いっそう重要なことは、あらゆる種類の規制が課されている仕事の労働条件と規則に関してである。

「労使関係クラブ」は復活した。しかし、その精神は改められるべきでありそれは可能で、それを生き延びさせる余裕はない。

 

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