《消耗劣化思想》にご用心

越境体験=入り口編=その7

Day 98(2018年11月27日〈火〉)

股関節の痛みはやわらいでいるが、用心して、昨日は長めの歩き。

今日は、泳ぎを、短距離を早めに。タイムをとらなかったが、13分そこそこ。

 

Day 103(2018年12月02日〈日〉)

異常な涼しい夏に、今日、突然な暑さがやってきた。そのため、用心して運動は自粛。

このところ思うのは、この身体のあちこちの痛みとは、それぞれが何か単一の原因によるものというのではないように感じる。いってみれば、日々の生活習慣に紛れ込んださまざまな身体的歪みやアンバランスがあるようで、それらによるストレスがそうしたフィジカルな痛みとなって収れんしているということなのだろう。ちなみに、先のトレッキングのように、そうした悪習慣からまったく解放されると、そのあれこれの痛みもすべて消え去ってしまう。それが日常に帰ってくると、そうした生活習慣が復活して、またしても、そうした痛みも復活している。

加齢により、身体の対応許容範囲がだんだん狭まってきて、昔なら、少々の歪み程度なら、他の部分でカバーができて、痛みを出すまでにはなっていなかったのだろう。それが、もう個々の部分がそれぞれ手一杯になってきて、そのカバーに回れなくなってきている、そんな事態なんだろう。

要は、生活習慣中に、そうしたよそからのカバーを必要とするような、歪みをなるべく持たせなくする、たとえば、良くない姿勢で長時間PCに向かったりしない、とか、長い時間の立ちづめの仕事をしない、といった配慮が不可欠なのだろう。

 

Day 104(2018年12月03日〈月〉)

最近、気になる言葉、ことにその使われ方がある。「人生100年」という言葉だが、確かに100年近くまで人生が伸びている可能性はあり、平坦ではないだろうが、私もそれなりの展望は感じる。だが、違和感があるのは、その用語の使われ方である。ことにそれが、労働力不足の補いと、年金支出軽減をねらった雇用延長政策とのからみで用いられる、雇用延長という名の《高齢労働力狩り出し策》への道慣らしとして使われている標語的用法である。

そもそも「人生100年」とは誰のものなのか。少なくとも、そのリタイア後の残りの数十年は、一体、誰のものなのか。

長年、雇われやすさに腐心してきた現役責任を果たして、ようやく到達してきているこの選択可能の時期、そろそろ、その永年の“怨念”を晴らすモードに切り替えても罰は当たるまい。いずれ旅立つ栄誉も控えていることだし。

 

Day 105(2018年12月04日〈火〉)

今日は涼しい運動日和。連日の自粛というマイナスの悪循環に陥らぬようにとはじり始めたが、気分に体がついてゆかずに膝・腰関節痛の予兆。そこで、すぐに早歩きに切り替え。3キロを行って折り返し。復路は体も暖まってはじり。往路が28分=9分20秒/km、復路が24分=8分/km

この間、Tが自転車で伴走。後になったり先になったり、TはTで、そういうエクササイスをしている。

山を歩いていてもそうだが、“エンジン”が暖まってくるまで、より時間がかかるようになっている。それまでは、体の動きもぎこちなく、無理はトラブルのもと。じっくり待ちの姿勢が避けられない。All or nothing の姿勢では取り組めない。

 

 

Day 106(2018年12月05日〈水〉)

どうも、周囲の人たちとの間に、認識の差があるようだ。それは何についてかというと、私の身体状態について、どうもまわりの人たちは、私が無理――「自虐」とする人もいる――を重ねていると見ているようだ。しかし、私の自意識は、無理や自虐ではなく、むしろ逆に、健康増進のためであり、通常行為なのだ。むろん、自分もその影響を受けざるをえない部分もあり、“やり過ぎ”や“病変”かなと思ったり、年齢相応に“自愛”や“ほどほど”を心掛けねばならないのか、とは思わされたりもする。

だが、私の考え方は、身体は使うために存在しているものであり、むしろ、使わない退化現象に付随して発生しているものが、痛みや違和感といった異常だとするものだ。だから、痛みや違和感は、「使うな」」ではなく「使い方を変えろとか、もっと楽しめ」という警告なのだ。

案外、びくびくしていること自体が、歪みや誤りを生む要因かも。

すなわち、自分事として用心すべきなのは、「使えなくなってきて当たり前」とする《消耗劣化思想》の自己呪縛。そこには、体ばかりでなく人そのものを機械部品のごとく見なす使用・被使用者意識があり、人生を、歳を重ねれば重ねるほど無用化して当然と見る衰退前提がある。そうではなく、人生は歳を重ねれば重ねるほど、より実り、洗練化するのだ。人生を微分するのも一法だが、積分視点も代えられない。

 

Day 107(2018年12月06日〈木〉)

股関節の痛みの原因は、関節の変形性のものとされることが多いが、痛みの感触からして、どうもそうではない気がしている。

今日も、はじり前の準備ストレッチ中、足の裏側に筋肉のストレッチを入念にしたのだが、するとどうだろう、痛みがほぼ消えて、はじりもほとんど痛みを気にしないでできた。体の故障は、それを体の訴えと認識し、対話をすることが必須だ。ただ医者に行けば良いというものではない。あれこれと対応を変えてみて、そうした対話を繰り返すのは、考えようでは楽しいものである。腹も身の内ではないが、体も身の内なのだ。

 

 


 

           この1ヶ月間のエクササイズ・ログ

 

11月07日(水) 水泳 1000m    27分20秒   75.6kg

11月08日(木) 歩き   1時間半         75.4kg

11月09日() はじり 10km     1時間20分55秒    74.2kg

11月10日() 自・電車通勤 自転車走行     8km

11月11日() 自・電車通勤 自転車走行     8km

11月12日() 歯医者 友人と会合

11月13日(火) 水泳 1500m    40分30秒   75.2kg|

11月14日() はじり 6km       40分33秒  75.6kg

11月15日() 自・電車通勤 自転車走行     8km

11月16日() 自・電車通勤 自転車走行     8km

11月17日() 自・電車通勤 自転車走行     11km 

11月18日() はじり 5km       38分04秒  75.6kg

11月19日() 水泳 1000m    26分58秒   76.6kg

11月20日(火) はじり 6km   46分34秒+歩き2km  75.6kg

11月21日() 自転車 14km  40分       76.0kg

11月22日() 自・電車通勤 自転車走行     8km 

11月23日() 自・電車通勤 自転車走行     11km

11月24日() 自・電車通勤 自転車走行     11km

11月25日() 散歩    45分

11月26日() 歩き     15km   3時間40分  76.4kg

11月27日(火) 水泳 500m   約13分     76.4kg

11月28日(水) なし

11月29日() 自・電車通勤 自転車走行     8km                                     

11月30日() 自・電車通勤 自転車走行     8km

12月01日() 自・電車通勤 自転車走行     8km

12月02日() なし(暑さのため自粛) 

12月03日(月) 歩き 2時間30分

12月04日(火) 歩き/はじり半々 計6km 28分+24分 76.2kg

12月05日() 水泳 1000m   約27分     77.0kg

12月06日(木) はじり 6km 47分30秒+歩き2km 27分20秒  76.0kg

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