発行人
ひと月前の兄の心臓動脈瘤破裂による急死といい、12年前の母の心不全によるこれも突然死といい、私の親族、少なくとも母方には、いわゆる「突然ころり」の遺伝体質がありそうだ。
他方、父は、痴呆症による時間を要した死でこの世を去ったが、さて、私には、遺伝という面では、こうした急か長時間か、どっちの要素が用意されているのだろうか。
人の死とは、その多くの場合、身体の他の部分は健常でも、ある一点が原因で、それがいわゆる「命取り」となって亡くなっている。
全身がバランスよく衰弱し、眠るように亡くなるというのは少数なようだ。
「人生3周目」なぞと、ある種の健全路線を目先としている一方、それが片方でしかないことは、兄のケースに接すればなお、暗黙には分からせておかねばならないことではある。
先に、松岡正剛の「愛煙にかまけた死」について書いたことがあるが、永遠に続くわけではない生命の厳正な真実には、こうした二面にわたる用意が必要であるようだ。
その二者の精緻なコントロールは至難の業だが、片方ばかりに専心していればいいというのではないのは確かだ。
それこそ平均的には寿命81歳を境として、こうした含みある海域への侵入があるわけで、表立って書くわけにはゆかないのだが、腹に含めておかねばならないものはありそうだ。
