Day 170+909(3月08日)
僕は「マインドフルネス認知療法」については、その知識も受療経験もいっさい持ち合わせていませんが、むしろそうだからゆえ、別掲のように、この療法に関した記事(2017年3月7日付AFR紙)を訳してみました。
記事のように、この療法はうつ症状の改善法として用いられているようですが、前立腺癌患者を対象とした調査――それが記事の中心的根拠となっている――がされたというくだりに目がとまり、それもあって、詳細に読んでみたものです。
読めば明瞭なように、記事は今日主流の医学的立場から、この新興療法の流行を批判したものです。僕は、こうした観点をコメントする立場も意志もありませんが、実際の病苦にさらされる患者の立場と現行医学との間に、僕も経験したような大きなギャップがあるのも事実で、そうしたギャップを埋めるべく、様々な、いわゆる「代替治療法」が“出没”しているわけです。そういう意味で、こうした「権威と新興」の間の論争には相当に関心を引かされるところがあります。
僕が3年前の自分の前立腺癌の発症以来とってきている選択は、そういう流れで言えば、「代替治療法」側のもので、専門医を相手に“孤軍奮闘”してきています。
上記のように、こと「マインドフルネス認知療法」については、批判も支持もする立場にありませんが、僕のとった方法は、自分の「気付き」を根拠にしたものである点では、この「マインドフルネス認知療法」の一種、あるいは、その方法を取り入れたものではないかと見受けられます。
そういうからみでは、私はここで批判されている側にある一事例です。
Day 170+914(3月13日)
先にプールでの新種ビールス感染の恐れについてメモしましたが、周囲では、夏にもかかわらず、しつこい風邪にかかる症例が増えているように見受けられます。そして、この夏、私もそれに二度ほど遭遇――一回は完全に感染し、二度目は、うがい薬をしつこく使ってかろうじて本格的感染からは逃れました――し、かなりの警戒心をもたされています。
この二日ほども、そうした症状のごく初期の段階を感じ、最初は使い慣れたうがい薬をもちいて対策に努めました。ところが、数度それを使っても、なまぬるな効果しか見られません。そこで、以前、うがい薬が手近にないときに、緊急に使った塩のうがいを思いだし、それを実行してみました。するとどうでしょう。うがい薬などより、はるかに明瞭な効果が見られます。一、二回の塩水うがいで、かなりの初期症状退治の効用が見られます。
ついでに言いますと、歯磨きの際も、市販のチューブ入り練り歯磨きの、何とも無意味な甘みといった、信用できかねぬ使い心地がもの足らず、塩を使った歯磨きを再開してみました。すると、その事後の口内のすっきりとした爽快感――例の意味不明なスースー感とは確実な差――と、殺菌感があります。
塩の効用は、市販の諸薬品なぞより、含有成分も明瞭で、はるかに頼れます。回りまわって、結局、塩にたどり着くとは、因果な話ではあります。
Day 170+917(3月16日)
私の認知症対策は、脳のさび取り。その方法は、フィジカルにもメンタルにも、脳を使い続けること。秋の長雨が続き、戸外でのエクササイズがしづらい。昨日は雲間をついて、一週間ぶりに12キロのはじり。ただ、前半は、キロ7分30秒前後とペースを上げ過ぎたため、復路でへばり、最後の2キロは歩きに。結果は1時間43分52秒、キロにすると8分40秒ほど。現在の体力では、キロ8分は確かな目安。
このさび取りのお陰で、今日の脳の働きはすっきりしている。
Day 170+920(3月19日)
昨日は癌宣告3周年記念日。8キロのはじりをするだけで、平穏な日曜日で終わりました。自覚の上では、なんらの異常も感じられず、そんなことが3年前にあったことも、もしこうした記録を書いていなかったら、忘れてしまっていたかもしれません。
来月は定期的な血液検査をして、経過をチェックします。
Day 170+922(3月21日)
今日も8キロをはじったのですが、あと2キロほどになった時、危なげだった空がいっそう暗くなり、雷鳴が聞こえ始めました。やがて、風が吹き始めたかと思ったら急に雨が降り始め、みるみるうちに、土砂降りの雨となりました。
いつもなら、雨中のエクササイズは避けるのですが、この二週間ほど、シドニーは雨模様がつづいており、空の具合に合わせていたら、身体が根から腐ってしまいそうです。
そこで今日は、雨が降ってもやめないと決心して、はじり出していました。
これほどの土砂降りの中を走ったのは初めてです。視界はきかず、足元はまるで川のようです。お陰で、先のニュージーランドの川下りの際の転覆時のごとく、着ているものは何から何まで、ぐっしょりとなりました。
冬なら、寒くてまずいことになりかねませんが、今日は蒸し暑く、汗もふんだんにかいていました。どのみち濡れるには変わりないわけで、かえって雨のために体が適度に冷やされ、むしろ心地よいはじりをもたらしてくれました。ただ、通りがかりの人は、何事かと、けげんな顔で私を見ていましたが。
さて、その後のことです。夕食をおえて、机に向かっていると、外から激しい雨音が聞こえてきます。普段なら、そうした雨音は、不快とは言わないまでも、歓迎される音には聞こえないのですが、今日はそれが違うのです。不思議に、どこか和んだ音に聞こえるのです。そして何とも、体がその音を妙に心地よく、愛おしい感触で受け入れているのです。
雨に濡れることを、このような感覚を伴って体験したのは初めてのことで、とても新鮮な気持ちです。