Day 100+79(9月13日)
京都、大阪、伊勢、津をまわって、今日、東京にもどりました。
今回の旅の一つの目的は両親の墓参り(京都、知恩院)をすることでしたが、もうひとつの目的は、私のZGへの挑戦を勇気づけてくれた一人の“戦士”に再会することでした。
その彼は、大阪の富田林で、自然食店を営む人で、肝臓ガンからの生還者です。レストランと食品販売を兼ねたこの店をはじめたのも、その生還の経験を転機に、他の患者に自分の体験を生かそうとのねらいがあるものです。
彼はそうした仕事柄、食物に関する“実戦的”情報に詳しく、かつ、健康を損ないやすい食品が横行し、また、本来の使命から脱線したかの医師の存在の目立つ今日にあって、まさに、苦しみ迷える患者たちを率いる「戦士」の雰囲気すら漂うきりりとした人物です。
ちなみに、彼の店は、富田林市本町の「暮らし屋」(Tel 090 2358 0443)と言います。
Day 100+81(9月15日)
今回、志摩に“移住”したかっての私の移住ビジネスの顧客転じて親しい友人となった人を訪ねた足で、伊勢神宮内宮とその別宮である、滝原宮を参拝してきました。
伊勢神宮は、小学生時代の修学旅行以来二度目のはずですが、事実上は初めてのようなものでした。そのたたずまいには確かに特別のものを感じましたが、何せ観光客が引きも切らず——中国、韓国人客も少なくなかったのは意外だった——、その雑踏にあっては、落ち着いた精神的体験を得ようにも、それは無理な期待ではありました。
その一方、伊勢神宮から約30キロほど離れた山間にある滝原宮は——最寄り駅の紀勢本線の無人駅、滝原で降り立ったのは私だけでした——、内宮を小さくしたような規模でありながら、周囲の地形や参拝客のまばらな環境は、その存在の神髄にでも触れえるかのような、いかにも厳かなたたたずまいを見せていました。
この滝原宮も、二十年ごとの式年遷宮を行い、それに関連しているのか、境内の一部で普請も行われていました(そのための騒音は、やや趣きを壊す作用をなしていましたが)。
ところで、私はいま、ガンとの遭遇とその回復を起点として、何やら、私の人生のサイクル——過去で数回、ほぼ10年に一度やってきている——が、次の新たなものに差し掛かってきているとの予感をえています。
そしてこれは、私の相変わらずの牽強付会なのですが、今回、滝原宮の遷宮跡なのか、玉砂利を敷き詰めた実に簡素な空間(写真)の片隅にしばし座り込んで、片や20年、わが方は10年とその周期は異なるものの、そうした互いにサイクルを成して存在していることが、何やら共通しているものがあるように感じられていました。
Day 100+87(9月21日)
シドニーに戻った18日は、夜行便で早朝に到着後、午後からはレストランの仕事に出ました。さすがにその日は疲れました。
木、金、土の週末三日の仕事のあと、日曜の今日、帰豪後はじめての「はじり」をしました。二週間ぶりで短めにしておこうとはじり始めたのですが、調子はさほど悪くなく、ゆっくりなペースながら、10キロがはじれてしまいました。それでも、やはり後半になると疲れが出て、しかも右ひざに痛みが出始めました。でも、ちょっと歩くとそれもすぐに消え、休みやすみながら、予定外の10キロを終わらせることができました。
日本で得た「長期戦」対策情報では、極端な菜食主義は長続きせず、良質な脂肪分を含む、バランスのとれた食事が肝心との助言をもらいました。
レストランの仕事場では、「皆さんの協力のお陰でガンからは回復したので、私用のベジタリアン食の用意はもういらない」と宣言し、今後、皆と同じ賄食を食べることとなります。
かくして、これからの「長期戦」が始まることとなりました。