3QsP Day 274(2022年4月22日〈金〉)

右足のトラブルだが、今日、はじりでなく、買い物へのただの歩きの最中で、痛みが人差指付根から、親指側へとシフトしてきている感じがあった。確かに、人差指をかばって親指に体重をかけることが多い。こうしたトラブルが連続すれば、やがて運動が出来なくなることはありうる。一過的か慢性的か、微妙な段階に差し掛かってきた。 詳細記事

3QsP Day 262(2022年4月10日〈日〉)

老若共闘」とは時代ズレした何ともいかめしい言葉なのだが、ともあれ、その当初の構想レベルのものが、にわかに、実行動レベルのものに実り始めてきた。それは、僕を「ロールモデル〔お手本〕」と見ているらしい若い人が現れてきたということに端を発することなのだが、内心、「モデル」とはなんとも面はゆいことで、戸惑わされてもいる。 詳細記事

3QsP Day 244(2022年3月23日〈水〉)

昨日、遅れていたモグサが着いて、さっそく1回目を施灸。一足先に届いていた二枚の板切れを使い、説明書通り、鼠糞大のモグサをひも状に延ばす。それを3ミリ位の長さにつまんでツボに立て、線香で点火する。ツボは、膝横の「三里」と足首内側の「三陰交」の二か所で、左右で4か所。その各点に5回(5壮〔ひ〕と数える)づつ、全部で20壮、施灸する。点火すると火が先端からすうーと燃えて、根本に達した時、ツーンとした刺激が走る。それが何やらただの熱さや痛さの感覚とはちがうところが興味深い。 詳細記事

3QsP Day 230(2022年3月9日〈水〉)

『フィラース』に、「四分の三プロジェクト」への覚書を掲載した。つまり、この先25年間への企画のメモである。それは、

 1.生命のいつくしみ
 2.自己関心域
 3.宇宙摂理の探究
 4.「越境」という誕生 

の4領域としているのだが、これを「理論人間生命学」とどう結びつけて行こうか。すでに、3の「宇宙摂理の探究」として、その方向は打ち出しているのだが、ことに、科学の辺縁部や情報生物学のあたりをねらい目として。 詳細記事

3QsP Day 215(2022年2月22日〈火〉)

西郷輝彦が前立腺ガンで亡くなった。彼と私は同い年で、同じ前立腺ガン持ち同士。しかも、昨年、彼はシドニーの病院に、日本では未承認の「PSMA標的内用療法」を受けるために入院していた。このように、因縁めいた話なのだが、幸いなことに、私はまだ、ぴんぴんしている。 詳細記事

3QsP Day 201(2022年2月8日〈火〉)

右足の中指の根元あたりに走る痛みを用心して、今日は6キロのはじりに留めるつもりでいたが、4キロ手前でそれが起こり、4キロで中断。毎回、往路では起こらず、帰路で発生するのは、やはり、疲れに関係しているということだ。 詳細記事

3QsP Day 185(2022年1月23日〈日〉)

今日、8キロを、特に足をかばうことなくはじってみた。タイムは1時間6分1秒でまずまずのうえ、右足のトラブルもほぼ問題なく(体重の移動が悪かった時、2度ほど軽い痛みがあった)、どうも原因は別なところにある可能性もある。というのは、この痛みは、使い過ぎのような慢性的な痛みでなく、突き指のような、ある特異な外力があると出てくるもの。 詳細記事

3QsP Day 169(2022年1月7日〈木〉)

泳ぎ1500mで39分18秒。どうもキックより腕、ことに左腕の動きの方がスピードを上げるには効果が大。でも左腕のパワーは、利き腕の右の7割位の感じ。 詳細記事

3QsP Day 153(2021年12月22日〈水〉)

すね筋肉の凝りがかなり取れて、キックを入れて1000メートル泳。タイムは25分46秒で、26分つまり500メートル当たり13分(2分36秒/100m)の目安を切ることができた。

ともあれ、とかく「年のせい」として諦めている支障が、それなりの原因を取り除くことで、その種の問題でないこととの証明がひとつできた。

この身体という機械は、メンテをしっかり行えば、まだまだ、けっこう使えるということ。要は、老化は避けられないとしても、全身の均整ある老化を遂げることで、決して、特定部位の故障をネックに、全身の不必要な弱体化を強いられないこと。 詳細記事

3QsP Day 138(2021年12月7日〈火〉)

前回述べた「目標」の構想だが、ポイントは二つ。①健康戦略をベースとしたインフラ作りと、②「理論人間生命学」を枠組みとする生き方ビジョン。

まず①について、毎日の運動だが、漫然とした繰り返しではなく、目標を意識して、それに取り組む積極性。ただ、目標といっても記録を短縮するとか大会に出るとかといったフィジカルなものではない。身体への栄養に相当する、心への活性注入だ。午後の2~3時間を費やして創生する情報反応だ。つまり、身体運動を情報の発生装置とみる認識。

次に②だが、その「学」とは、いわゆる「学問」ではない実務的なもの。その情報反応を前提とした運動依拠的な日々の組み立てをベースにした、情・物一体的な人間像の実践。ゆえに、「越境」も、そういう一体化現象として捉える。 詳細記事