二人の台湾人作家

いずれも日本語で作品発表

〈半分外人-日本人〉(その9)

先に「二国を股にかけるということ」という題名で、温又柔(おん・ゆうじゅう)という台湾人作家について触れ、言語的アイデンティティに関連して、私自身の体験――「恥」か「強み」か――をかきました。それが機会となってその後、李琴峰(り・ことみ)というもう一人のやはり台湾人作家を知ることとなりました。この二人の台湾人作家は、どちらも日本語による小説を書いていて、日本語という自分の母国語ではない外国語によるそこまでもの達成の事例となっています。そこで、その足元にもおよばない私の外国語習得能力の「恥」を改めて噛みしめつつ、二人の日本語はどれほどのものかとの好奇心も手伝って、二人の作品を読もうと思い立ちました。 詳細記事

前回に予告しました漱石論についてですが、注文した本『漱石「文学」の黎明』(神田祥子著)が到着し、さっそく読み始めています。

今のところ、まだその「はじめに」に目を通した程度なのですが、まずそこで、思わぬ発見というか、気付きというか、ともあれ、意外な〈遭遇感覚〉を体験しています。 詳細記事

二股体験がとりもって

「漱石論」と再会か

〈半分外人-日本人〉(その7)

77年9か月の人生のうち、後半38年をオーストラリア住まいしてきたのですから、年月上では、確かに内外を半々に股に掛けた人生ということにはなります。しかし、この「半々」とは、もちろん、数字上の偶然にあやかった、軽口な言いようにすぎません。それに、サブタイトルの〈半分外人-日本人〉についても、そんな諧謔的な言い表しを使って、反対に、そうではない真相をにおわしたいのが本音でもあるようです。 詳細記事

雑誌『世界』で、昨年4月から始まった「日本語の中の何処かへ」と題する連載エッセイがある。著者は、温又柔(おん・ゆうじゅう)という1980年台湾生まれで、幼少時に来日、東京で育った作家である。

その温又柔は、連載初回を、まず引用で始めている。

というわけで、もし私のことを本当に傷つけたいのなら、私のことばの悪口をいってください。民族的アイデンティティとは、言語的アイデンティティのふたご――私とは、私のことば、なのだ。私のことばに自信がもてるようになるまでは、私は自分に自信をもつことができない。

(グロリア・アンサルドゥーア)〔注記〕

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何年か前だったが、偶然な機会で知り合いとなった、まだ三十代の半ばにもなっていないだろうに、派手さはなく質実な印象の、ある日本人女性から言われたことがある。

「〇Xさんって、成功者ですね。」

それには思わず、「はぁ」っと間の抜けた返答をしてしまったのだが、ともあれその「成功者」との言葉は、思いも付かない僕への形容だった。 詳細記事

前回に続き、「言葉って重たい」をテーマとするのですが、今回はその背景が大きく違っています。むろん、言葉に関する点に変わりはありませんが、〈半分外人-日本人〉といった地理由来の観点ではなく、むしろ、ジェンダー由来の問題です。そこでそれを、本シリーズのタイトルにからめて言えば、〈半分-日本人〉とでも言い換えることができましょうか。 詳細記事

やっぱり「言葉って重たい」

〈半分外人-日本人〉(その3)

今回は、〈半分外人-日本人〉のテーマの中で、やっぱり「言葉って重たい」という、至極当たり前な話題を、あらためて取り上げます。

と言うのも、前回、私は英語が苦手である「変な〈半分外人〉」だと書きました。そんな私ですので、この「言葉って重たい」との実感は、身に染みている体験の告白でもあります。そして、そこをさらに断言してしまえば、外国暮らしをするその機会をどう成果付けるか、それを生かすも殺すもその行方は、その人の言語能力次第であるとも言えるからです。 詳細記事

変な「半分外人」

〈半分外人-日本人〉(その1)

今77歳の私がここオーストラリアに渡ったてきたのは1984年、38歳の時で、昨年はそのオーストラリア在住の長さが、私の人生のちょうど半分に達した年でした。

そうした意味では、私はまさに「半分外人」なのですが、そうでありながら、今だ日本国籍をしっかり持ちつづけているという意味では、「半分外人-日本人」でもあります。

また昔、S30年代末の昭和の真只中、「変な外人」という流行語がありました。たしか、タレントとして活躍しはじめていた日本在の「ハーフ」の外人たちがそう自称したことが受けていたのですが、私のこの「半分外人」ながらまだしつこく「日本人」であるということは、「ハーフ」か「ダブル」かはともあれ、そんな“変な”「半分外人」でもあるようです。

そこで今回を皮切りに、ここに〈半分外人-日本人〉とのコーナーを設け、その“変な”「半分外人-日本人」ぶりをさらけ出してゆこうと思います。

私の人生終盤に向けての、アウトプットであります。

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〈半分外人-豪州人〉という鏡像

〈半分外人-日本人〉(その2)

(その1)に続けて(その2)も掲載します。

先に、『日本人という呪縛』との題名の昨年末出版の邦訳本(原題は The curse of Japaneseness)を読みました。日本在住も長いデニス・ウェストフィールド(Dennis Westfield)と言う豪州人ジャーナリストが原著者です。

まず、ひと言でその読後感を述べれば、本書は、私が自称する「半分外人-日本人」の鏡像とも言うべき、「半分外人-豪州人」による日本人見解です。 詳細記事