4月26日、オーストラリアのマルコム・ターンブル首相は、世界的注目を集めていた次世代潜水艦建造の発注先を、フランスの国営系造船会社DCNSに決定したことを発表しました。これにより、日本はドイツとともにその大事業の機会を失い、ことに、国を挙げての実に異例な獲得競争を展開してきた日本、ことに阿部政権にとって、おおきな痛手をこうむる結果となりました。
私見ながら、私はしかし、この結果を≪オーストラリア民主主義のおかげ≫と、あえて“たたえたい”と受け止めています。
むろん、豪州民主主義の現実はそれほど単純なものではありませんが、このターンブル首相の判断は、現時点における現実的に下せる、国際的にも国内的にも最適解ではないかと思われます。ことに、米国と中国という国際政治上またグローバル経済上、巨大影響力をもつ両国のはざまにあって、その板挟み関係の中から、どちらの顔や実益をもつぶさない、巧みな政治決断をひねり出したものです。
そういう脈略では、阿部首相は、アメリカの要請に振り回され、また、4兆円超の巨大ビジネスの機会として経験も準備も不足のままに飛びついた、国際視野的には、実に浅はかな失態を演じたものであったといえましょう。
考えてみましょう。これにより、対中国的には後味の悪い――あるいはまずい口実を与えかねない――国家姿勢の打ち出しを行い、対米的にも、「主」の与えた使命を全うできない――それこそ国際政治KYな――非力な配下であったことを露呈し、加えて、自国の経済的実利獲得までももろにフイにしてしまったわけです。
加えて私見をいえば、実に皮肉なことではありますが、私はこれで、日本にとってはいいことだったと考えています。
それは、この失敗により、日本が自国内にいわゆる「軍産複合体」を形成させてゆくという計画がこれでおおきくつまづくこととなり、その意味で、現在の国家戦略判断に誤りがあった――少なくとも妥当さを欠いている――ことが示されました。そしてそれだけではありません。
もしこれが成功していた場合、三菱重工や川崎重工がオーストラリアに乗り入れ、最高度な機密維持が要求される潜水艦建造を、現地労働者(人種的に雑多で極めて権威嫌い)の技能訓練からはじめ、その全工程をオーストラリアで実施した場合、おそらく、現在、巨大赤字を出しつづけている三菱重工の二隻のクルーズ船建造の比――二隻で1000億円の受注額の事業に現時点で2400億円の赤字――ではすまない、膨大な経済的、政治的困難をかかえこむことになるのではないかと危惧されるからです。
それは例えば、この潜水艦建造計画は7年前、ラッド親中派労働党政権によって発表され、その後政権は転換されて、その計画を引き継いだ前アボット保守連合政権は昨年半ば、その建造を日本に任せる趣旨を表明しました。その保守政権首相が7カ月前に現ターンブル首相に交代してこうした選定結果を決断したわけです。このように、オーストラリアには、政治的にも実に変動の激しい社会環境があります。さらに、現計画でもその最初の潜水艦の配属は2030年で、それ以後も継続する建造と長期にわたるメンテナンスをふくむ、実に延々たるプロジェクトです。その間に、政治環境の変化をはじめ、どのような未確定要素が出現してくるのか、誰も予想不可能です。
次に、そもそも、アボット前首相がその地位を失った理由の一つは、4兆円を超える大国家事業を、失業が増加中のオーストラリア国内で行わず、みすみす外国に売り渡してしまう判断への強い反発です(確かに単純な費用対効果は外注が最大なのでしょう)。今回の発注に、建造を豪国内で行うという条件が明示されていたのはそのためです。加えて、衰えつつあるとはいえ、活発な活動力をもつ労働組合運動があります。すでに世界最高レベルの労働条件を獲得し、しかもさまざまな要求に熱心なオージー労働者を巧みに駆使して、その機密度の高い建造を完成にまでもってゆく人的管理の難しさは、日本国内での建造ですらそれほどの赤字を出して苦悶している日本企業にとって、並大抵のことで達成できるものではありません。
日本からでは想像も難かしい、そうしたオーストラリアの国内事情は、選挙は義務投票制で有権者の90パーセント以上が投票し(つまり浮動票はおろか棄権票までがまるまる有効票として働き)、国民意識はストレートに票に反映して政権交代は当たり前、かつ、上記のように労働者は躊躇することなく自分の権利をはっきりと主張する、そういう、オーストラリア民主主義がこの国ではどっしりと定着しているのです。
そうした環境を背景にオーストラリア政府が下した今回の決断は、むろん対中国ビジネスをにらんだ大いにそろばん勘定の入ったものではありますが、それは日本とて大同小異で、さまざまな現実的な意味において、日本の選ぶべき道への実務的暗示を深く与えてくれているものであると思うものです。それにともかく、日本の秘蔵の潜水艦技術がこれでいっそう保持されたことは間違いないでしょう。(別記事)
【2016年4月27日掲載】