TST Day 133(2022年8月7日〈日〉)

二週間の、タイ、カンボジア旅行への出発。またしても(6年前のNZ旅行)、空港でビザ問題発覚。この4月で再入国ビザが切れていた。乗り継ぎのシンガポールでの真っ先の仕事は、空港内からオンラインでのその申請。料金は430ドル也。これでこの先5年間、オーストラリアからの出入りはOKだが、旅行しない場合、無駄な出費ではある。 詳細記事

この記事では、私の究極の空想を楽しんでみたい。そして“それ”を、「雲子」と呼んだらどうだろう。そういうそれとは、量子とか、素粒子とかとよばれているもののことなのだが、その粒だか波だか断定できないものは、私の直観を含めて言えば、超微小ながら、輪郭のぼやけた、雲状の存在なのではないか。そしてそもそも、粒だとか波だとかとして捉えること自体、既成かつ地球的な発想に慣れ親しんだ発想だと思う。 詳細記事

TST Day 118(2022年7月23日〈土〉)

今にも降り出しそうな空なのだが、土曜のプールは人が多い。そこで今日ははじりと決めた。そして今日も、ハイピッチ走法で走り出す。1.5キロ地点で、いつもより1分も早い。ただし、さすがに呼吸がきつい。4キロの折り返し点では、2分も短縮、さすがに、帰路はややペースが落ちてきた。ところが、5.5キロあたりで、水たまりを避けようとして転倒。右肩と右側頭部を地面に打ちつけた。頭は打撲痛だと思うがやや痛む。要注意。 詳細記事

TST Day 102(2022年7月7日〈木〉)

雨天が続いた後の久々の晴れ間。さっそくはじりを8キロ。今日は、ペースを上げようと、足には負担のかかる走りをしたが、トラブルは出ず。そして、タイムは1時間6分48秒と、久々の6分台。4月以来の3カ月ぶり。タイムも悪くないが、それより、そういう走りができるようになってきたのは大進歩。 詳細記事

TST Day 89(2022年6月24日〈金〉)

右足の故障が治り始めたと思うと、今度は左足がなにやら変だ。まるで、右足への配慮にヤキモチを焼き出した左足かのように。それはともあれ、左足首の関節が、急に固くなってきて、柔軟性を欠いてきている。またそのためなのか、はじりの最中、左すねに痛む感じがある。 詳細記事

これってセクハラ?

右足故障は自力治癒

《時空トラベル》時代=旅立ち編=(その3)

TST Day 72(2022年6月8日〈水〉)

そろりそろりだが、はじりを復活中。寒いが快晴で、はじり日和。調子よければ6キロをとはじり始めた。超スローで体の温まるのをまっていると、なかなか悪くない感じ。3キロまで伸ばして折り返すが、足のトラブルはまったくでない。足先までほんのり温まって、かえって、ピッチが上がってくる。久々に、セーブをせずにはじれた。タイムは53分26秒。標準+5分26秒とまだまだお粗末。 詳細記事

アデレードへ向けて飛び立つ

「四分の一プロジェクト」の柱にすべく「時空トラベル」との考えを打ち出し、その実行の手始めとしてアデレードまで出向き、男女二人の若い世代と交流してきた。私との年齢差は40歳余り。親子を通り過ぎて、孫にも近い。

この「時空トラベル」については実のところ、まだその緒に就いたばかりで、そのほんの輪郭が提示できる程度でしかない。

そこでむしろ、それを前進させるためにも、ともあれ行動を起こしたというのが正直なところだった。 詳細記事

痛みが消えた

《時空トラベル》時代=旅立ち編=(その2)

TST Day 58(2022年5月25日〈水〉)

右足母丘部の痛みの原因を、すね筋肉の凝り固まりと狙いをつけ、そのもみほぐしに務めている。これがなかなか時間を要し、じっくり行うと、両足だと一時間近くにもなってしまう。凝っているのは両足なので、片側だけで済ますわけにはいかない。

それが、この一カ月ほどの継続で、そのまるで骨と見分けがつかなかったような凝り固まった筋肉が、まるで見間違えるように、柔らかくなってきている。

以前なら、押してみても少しもへっこまなかったものが、今では、弾力性のある文字通りの筋肉。また、つよく指圧を加えると、足先から腰にまで、反応が響く。

あとは、実際の痛みの解消につながるかどうかなのだが、ともあれ、それほどまでに固まった筋肉で運動をしていたのかと、知らなかったからとはいえ、驚きでもある。まるで虐待で、痛みが出るのも当然である。 詳細記事

《時空トラベラー》という過客

《時空トラベル》時代=旅立ち編=(その1)

3QsP Day 290=TST Day 1(2022年5月8日〈日〉)

《健康追求》の意義について、当たり前どころか、ようやく、その奥義が見え始めてきた。

世俗的にはむろん、健康の成果は「長寿」となるのだろうが、私の場合、その成果とは、《時間旅》ができるようになったということ。つまり、人生の旅を、地理空間的に行うばかりでなく、それを時空間的にも行うということ。

言ってみれば、私は《時空トラベラー》。健康でさえあれば、その「時空トラベル」が実行できるのだ。 詳細記事